熊本県立図書館寄託資料一覧

熊本県立図書館に寄託されている資料の一覧です。

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文書名 内容 資料名及び点数点数

小糸家文書

小糸文書は阿蘇郡阿蘇町的石の小糸豊寛氏所蔵のもので、昭和40年に当館に寄託されたものである。
小糸氏は豊後の出であったが、大友家没落の際、阿蘇郡高森町に移り、御惣庄屋を務めた。寛文9年、御赦免地開で的石村へ居を構えたが、その屋敷の庭園が風光佳麗であったので、歴代細川藩主の参勤交代の途次の休憩所となり、元禄11年御茶屋が建築され、小糸次右衛門は御茶屋番を仰付けられた。
以降、小糸家は維新まで約240年間累代その職を世襲した。本文書は小糸家伝来のもので、主に藩の的石御茶屋関係のものである。
「的石御茶屋屋根御繕積帳」ほか60
山口家文書
山口家文書は、沖縄、広島、徳島で高等女学校長などを歴任した山口泰平氏(菊池氏出身)が、菊池の学者である澁江紫陽から5代にわたる澁江晩香までの遺稿、遺文、書簡などを整理し、系統的にまとめたものである。和紙に毛筆で丹念に書かれたこれらの資料は澁江家伝来の教学思想、澁江家の生業、水神祭事などの研究資料として期待される。
また、山口氏が教職にあったころの『教育日誌』も収めてあり、当時の各県の教育事情を知るうえでの貴重な資料となっている。
「肥後澁江氏傳家の文教」ほか88
能勢家文書 能勢家文書には、明治10年及び明治14年から19年までの能勢政元の日記が収められている。能勢家は武家であり、御小姓組の家系である。政元は旧名を邉といい、明治維新後は、常備兵第五椑官をはじめ、高森郷吉田組里正や第四十四大区三小区長を務めている。 「能世政元日記」
工藤家文書 本文書は、上益城郡馬見原の豪商・本八代屋の屋号で知られる工藤家に伝わる古文書である。本八代屋は、八代から馬見原へ移転した工藤助次郎より始まり、造酒や醤油製造、また質屋職(明治3年)を営む。本文書には、明治期の酒造や醤油製造に関わる文書類をはじめ、明治・大正時代の大幅帳や当座帳類、江戸期の書付類が収められている。 「大福帳」ほか138
住江家文書 住江甚兵衛は細川藩士。父松翁とともに尊王論を唱え肥後勤王党の重鎮とされた。文久二年、細川護美に従って京都に赴き皇居を守護した。3年8月の政変で帰国、謹慎を命じられた。明治維新後、熊本藩の権大参事を務めた。 「池辺謙助書簡 有吉清名宛」ほか33
三池文書 肥後三池氏は加藤・細川両家に仕えた旧熊本藩士。古くは鎌倉御家人として筑後国三池庄の地頭職を得、室町・戦国期には国人領主として活動した。本資料は軍勢催促状(南北朝期)や知行宛行状(近世期)などの武家文書で構成されている。                            「尼しんねん譲状」ほか52
林家文書 幕末肥後の思想家である林桜園(寛政10年~明治3年)の日記。文政11年から明治3年まで。 「林桜園日記 文政11年日次記」ほか44
猿木文書 猿木氏は小堀流踏水術の師範で、肥後藩に伝わる踏水術関係の古文書類を所蔵している。 「元田永孚書状」ほか25
原田家文書 木原谷は九州山地に西麓、矢筈岳北麓の丘陵部に位置する。現在、上益城郡山都町の大字であるが、藩政時代は阿蘇郡の菅尾手永に属する一村。村高は「肥後国誌」によると135石余りとある。原田家は享和年間以来、村の庄屋役を勤め、幕末には地士。明治に入りその子孫は阿蘇郡小峯村の村長、村会議員を勤めた名家。文書は庄屋伝来のもので、手永のうち、木原谷、小中竹、高瀬、西原村などの検地帳、年貢割賦帳、人別改帳など。延宝2年の切支丹御改では、「被仰渡之趣御百姓中江毎月申渡判形取置候帳」といった百姓に直接捺印させた帳面もあり珍しい。明治・大正期のものは家史料で、小作取立帳など。 「阿蘇郡南郷之内木原谷村地撫御帳控」ほか377
岡部家文書 岡部家は天草郡内野河内村の庄屋、同村は天草の上島の北東部に位置し、江戸期、島原の乱後は内野河内村の検地帳をはじめ、年貢関係、宗門人別帳などが中心。「文久2年流人宗門改帳」など珍しい。明治期のものとしては太政官布告、県布達類、土地、山林、戸籍などが多く残っている 「上達書手控」ほか537
牟田文書 「医道二千年眼目編」は、医に関する考証及び論説を集めたもの。殷医、周医、扁昔鳥、春秋医、漢医、素問、九霊、夲草、傷寒、雑病論、金匱要略、傷寒論取捨、張仲景、類聚方、方極、薬徴、司命、万病一毒等の目次がある。文政11年の作。 「医道二千年眼目編」14

山上三名字文書写

本文書は、加藤清正や小西行長が肥後國を領有した近世以前の有力武士で、「山上三名字」といわれた牛嶋氏、田尻氏、内田氏に関する中世文書の写しである。 「山上三名字文書写」
妙号御添書 妙号とは名号とも書き、仏や菩薩の名を唱える時の尊称をいう。その昔、京都の本山で親鸞上人自筆ともいわれる妙号を授かった旅の商人が、天草の牛深から薩摩國へ向かう途中だったが、海が荒れていたので万一にも大切な妙号を無くしてはならないと、牛深の商家の人々に譲り薩摩へ旅立った。妙号を譲り受けた地元の人々は、信仰の対象として阿弥陀堂を建立して妙号を祀り、以後、親鸞上人の祥月命日には報恩講を開いてきた。 妙号御添書(正本)
高津昭所蔵文書 宮部増実、松田重助、永鳥三平他、肥後勤皇家についての漢文による列伝。上妻解題に「本藩における勤皇家列伝の根本資料であろう」とある。巻末に「獄中坐側記」がある。 草稿 轟武兵衛著伝本
宮部鼎蔵関係資料 幕末の肥後勤王党のリーダーとして活躍した宮部鼎蔵。攘夷派として京都・池田屋で新選組に襲撃され自害するが、その13年前の嘉永4(1851)年に房総・相模を視察した際に書いた「房相日記」など、鼎蔵ゆかりの資料。 宮部鼎蔵「房相日記」ほか29
竹原陽次郎家文書 竹原家文書には竹原家と竹原惣領家当主(所蔵者)が理事長を務める特定非営利活動法人武田流流鏑馬保存会が守り伝える武田流流鏑馬の根拠資料である伝書が含まれている。 「玄下書付」ほか561
浮田家文書 浮田家は宇喜多秀家の子栗田太兵衛を祖とし、細川家に仕えた。明治3年には浮田姓への改姓が許可される。本資料は「兒島備州補傳」、栗田太兵衛以降の宇喜多家系図や「豊前以後熊本在住宇喜多家累代履歴書」など家譜に関するもので構成されている。 兒島備州補傳 上・下」ほか72
上松コレクション
上松氏は熊本出身で、江戸から近代にかけて、熊本に関係のあるものをピンポイントで収集されている。
当館には、江戸後期、明治初期の熊本城下絵図をはじめ、熊本藩主 細川忠利、細川治年の知行宛状、元田永孚、徳富蘇峰の書簡、また横井小楠暗殺者人相書などを寄託されている。
江戸後期の熊本城下絵図 ほか

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